「居住権」がどうのとか言うより前に

ホームレスのテント撤去について、ホームレス擁護意見があちこちで見かけられる。もちろんその逆もたくさん見かける。なんか「居住権」がどうのとか。意見の対立を見てて思うのは、究極的には「居住権」についてどの水準を求めるかの違いでしかないってことだ。擁護派は、支援センターじゃ「居住権」は満足できないと言い、批判派は、支援センターも用意してるんだから十分だろ、と言う。それは結局「居住権」とやらの解釈の違いであって、どうしても決着つけたいなら最高裁判所に聞くしかないことだろうと思う。個人的には、擁護派の唱える「居住権」はやや水準が高すぎるような気もするが。
もし現在のホームレス対策が「居住権」の水準を下回るのであればそれを改善しなきゃならないし、「居住権」の水準は上回るが公園の方が住みやすい、というだけであればホームレスが公園に住んでいい理由は無い(擁護派の意見に立ったとしても)。いずれにしろ、食糧配給などの具体的支援をしているわけでもなく、ブログで擁護論を唱えるだけの人は、「ホームレスを公園に住まわせろ」と言うのではなく、「対ホームレス福祉政策の水準を引き上げよ」と言うべきだと思う。「居住権」を主張するということは「公園に住んでいいというのは過渡的措置」と自ら言明しているようなものだから、その過渡的措置に固執するのではなく、より根本の解決に向けて言論を展開すべきじゃないだろうか。「言論」という形での支援しかできないのであれば、その方がずっと建設的・効果的なように思えるのだが、どうだろう。
そしてそれを踏まえた上で、「居住権」がどうのという議論をする前に、実際のホームレス達がどう思ってるのかを知りたい。彼らは、本当に擁護派の言うような「居住権」を想定しているのか。ホームレス達が望む水準、すなわち、どれくらい良い生活をタダでくれてやったら公園から出ていってくれるのか。「就職できない・すぐ辞めてしまうのは能力や住所が無いからで、やる気は十分ある」というのはどこまで本音なのか。それらの割合は。
誰か、大阪中のホームレスに聞き取り調査をしてくれないだろうか。本音を引き出せるくらい親密な立場から、それでいて中立的に。一番いいのは、実際長くホームレスをやっている人がさり気なく聞き回るか、多くのホームレスがブログにでも書いてくれたりすることなのだが。