『手紙』

東野圭吾原作。録画しておいたのを今日鑑賞。
同日他局放映の『秘密』よりは面白かったけど、暗すぎて元日に観るべき映画じゃなかったな。
以下ネタバレあり。


強殺犯の兄を持つ弟が「人殺しの弟」というレッテルのために苦労し続け、何とか自分の中で折り合いをつけるまでの物語。
まず兄の方は、極悪人ではないが同情すべき点も全く無い人物として描かれる。まさしく「馬鹿な兄貴」で、愚かな上に真っ当に生きることもやめてしまった始末の悪い人間。
一方山田孝之演じる主人公は、中途半端に卑屈な人間で、悪びれずに堂々とすることもできなければ、卑屈になりきることもできない。兄についても世間の差別・偏見についても割り切れずに、うじうじとするため常に事態を悪化させていく。
主人公は精神的にあまりに弱いため、兄や差別、友人や恋人ともまっすぐ向き合えない。何かあれば一目散に逃げ出し、「自分は兄と差別の犠牲者である」という体を装う。
終盤、主人公は兄に対し「あんたのせいで夢も恋人も諦めた」という趣旨の手紙を書くが、恋人については自分で嘘をついていたのがそもそもの原因だし、芸人という夢については、マネージャーが引き止めているのに一人で勝手に絶望し、勝手に諦めている。
しかも気持ちが耐え切れなくなると破壊行動に出るため、「可哀想だけど自業自得な面もあるよね」という印象が強い。
主人公の妻はこれまた異様で、通勤バスの中で主人公を一方的に見初め、いきなり顔見知りのような態度で接し始めるや、数度会っただけで食べ物や手作りのミントを贈り始める。主人公が会社をやめた後もバイト先を探知して突然現れ、住所を強引に聞き出したりと、ストーカーまがいのアプローチをかける。
最終的には「いくら嫌でも苦しくても兄だから仕方ない」と割り切ることができたわけだが、主人公が卑屈すぎて全く感情移入できなかったので、最後の泣き所もうまく機能しなかった。


ところでこの映画、ケーズデンキが実名で登場しているのだが、なんと主人公を差別する側として登場する。その後会長のフォローが入るが、このフォローがまた酷い。
差別から逃げずに強く生きろと励ましているのはいいが、同時に、差別による不当人事自体については明示的に容認(どころか是認?)している。大企業の上層部がそんなこと言っていいのか。本人の強さを求めるにしても、目に見える理不尽は取り払ってやるのが企業としての責任じゃないのか。その場所をより良いものにする努力を放棄しておきながら、「君はここで生きていくんだ」とはよく言ったもんだ。
しかも、この会長が来たのは恋人が手紙を出したからで、主人公自身は最初から諦め何もしていない。主人公がどう生きているかなんて分かりもしないはずなのに、さも全てを差別のせいにして逃げながら生きているかのように語り始めている。実際その通りなんだから結果オーライだが、この押し付けがましさは鼻につく。
ケーズデンキはこんな悪印象な企業としてよく実名登場させたなと驚いた。


この映画を要約すると、「卑屈で卑屈でどうしようもない主人公が6年かけてようやくちょっとだけ成長した」ってことになるかな。