NHKの受信料批判で「自分は見てない」というのは的外れ

そもそもNHKがテレビ設置者全てから受信料を取ってるのは、営利目的だと切り捨てられてしまうようなコンテンツをも放送し続けるため。実際にはある程度外連味も含んだ番組構成になっているわけだけど、究極的には、少数派が求める番組を供給するのが使命。ということは、逆に言えば多数派にとっては需要のない番組が多いのが当然であって、必然的に受信料を払う多くの人にとっては「見ない」「見ようと思わない」ものが多くなる。
「見てない」多数派が何故少数派のために受信料を負担しなければならないのかといえば、これはもう一種の福祉政策。あるコンテンツを求める人々がいても、その数が少なければ利益は上がりにくいので、民間でそのコンテンツを供給することは期待できない。かと言って、利益の上がる多数派好みのコンテンツばかりになるのは、思想や文化の多様性を損なう可能性があるから望ましくない。だから、全員から制作費を取って利益の上がらない番組も供給できるようにする。自分の稼ぎで食べていける大多数から徴収した税金で、生活保護の費用を賄うのと同じ。
だったらいっそ税金として徴収すればいいじゃないの、ということなんだけど、そうすると今度は政府の関与が強くならざるをえないので、表現の自由が制約される危険が大きくなる。広告収入だと多数派(視聴率)に、税金だと政府に寄った内容に偏りやすいので、両方からの微妙な距離を保つために、今の受信料の状況がある。


だから、NHKの受信料をそもそも払いたくない、NHKスクランブルでもかけろという主張であれば、「商業放送でも視聴率偏重主義には陥らない」か「視聴率偏重主義に陥っても何ら問題ない」ということを示さなければならない。
また、受信料制度自体は問題ないがもっと安くすべきという主張であれば、番組内容とは関係なく「経営に不合理がある」といったことを示すべきであって、多数派の満足度は何の根拠にもならない。そもそも多数派にとっては面白くない番組を作るためにあるのだから。


役員報酬が高すぎるとかの批判は、経営の不合理を指摘するものだから根拠資料さえあれば正当だと思う。受信料制度批判はその辺を主論点にすべきであって、「見てない奴から金取るな」を主論点にするのはかなり筋が悪い。