『300』

予想外に面白かった。
テレビコマーシャルの「この男達、ただ者ではない!」とかいうキャッチコピーは大間違いだな、と思った。そういう映画じゃない。基本歴史物で、エンターテイメント性が入った意欲作。日本で言えば司馬遼太郎みたいな感じ。あるいは三国志劉備が主人公みたいになってる嘘っぱちのやつ)。
以下ネタバレ含む。

全ストーリー

ギリシャのスパルタ王レオニダスが、ペルシア王への服従を拒み、戦うことを決意する。しかし「出兵してはならない」という神託が降り、スパルタの古き法によってそれに従わなければならなくなる(実はその神託もペルシア王に従う者が仕組んだ嘘だったわけだが)。レオニダスは自由と誇りを守るために300人の少数精鋭のみを連れ非公式に出兵する。
敵は海を埋め尽くすほどの大軍。数千のアルカディア人の援軍と合流したとは言え、なお圧倒的な戦力差。それでも、生まれながらに戦闘訓練を受けたスパルタ人の圧倒的な戦闘能力と、狭い地形を巧みに利用した戦術とで、ペルシアの軍の波状攻撃を幾度となく撃退するレオニダス。
このまま守り切れるかと思われた時、唯一の勝算とも言える地形の利が失われる。スパルタ軍の後背へ回る秘密の道が、ペルシアにばれた。情報を流したのは、スパルタ出身の奇形の男。スパルタでは奇形児・障害児は生まれてすぐに殺されるが、それを拒んだ奇形の男の父はスパルタから逃げ出した。奇形の男は父の名誉を取り戻すべく共に戦うことを申し出たが、奇形のため密集隊形を取れないことを理由にレオニダスに拒絶される。そして奇形の男はペルシア王に跪く。
包囲網の完成前、アルカディア人達の援軍は退却する。レオニダス王は部下一人を本国へ送り返し、死を賭した最後の決戦に臨む。包囲され、矢を向けられながら迫られる屈服。兜も盾も捨て、膝をついたレオニダスだったが、次の瞬間、レオニダスの合図と共に仲間が近くの敵を殺す。一斉に戦闘が開始された刹那、レオニダスは遠く離れた御輿に立つペルシア王へと槍を放つ。
槍はペルシア王の頬をかすめただけに終わり、スパルタ軍は全員戦死する。しかしその武勇は一人本国へと帰り着いた仲間により伝えられ、やがてはそれがギリシア全土へと広がる。
翌年、再び攻めてきたペルシア軍を迎え撃つのは、わずか300人で100万人を相手にしたスパルタ人の全軍と、アテネの連合軍。ペルシア戦争ギリシア側の勝利で終わらせるこのプラタイアの戦いは、レオニダス王の勇敢なる玉砕があったればこそだったのである。

感想・解説

世界史的に一言で言うなら、「テルモピレーの戦い」を描いたもの。と言っても、そんな知識は不要。世界史でもかなりマイナー知識だし。自分も、最後の最後に「プラタイア」という地名が出るまで、「クセルクセス王とかレオニダス王って聞いたことあるな」くらいしか分からなかった。いや、プラタイアがどうとかっていうのも実際問題必要ないんだけど。ただ、プラタイアの戦いでギリシア連合軍が勝つってことを知ってると、「ああ、あの戦いはこの勝利に繋がるんだな」と確定的な印象になるだけ。
戦闘シーンは、迫力があっていい。隘路を利用したという史実に基づいているとは言え、一応それなりの戦術的合理性を確保してるのは好印象だし、何より殺陣における動きが美しい。日本の時代劇みたいに敵の方が攻撃しないで待ってるということも無いのに、立ち回りの妙と仲間同士の連携によって一対多で倒し続けるスパルタ兵は見てて痛快。
史実を基にしてると言っても、やっぱりフィクションはフィクションで、大河ドラマ司馬遼太郎小説がそうであるように、この映画にもエンタメ性を加えるためだけの妄想設定が色々入っている。必要なら嘘を嘘として入れないと、単なる歴史物では面白くないのも事実だから、そこは割り切って楽しむべきだと思う。
生首とか手足切断とかその切断面とか、そういう描写が苦手だと少々辛いかもしれないけど、グロ描写も、アップは無いし、大量の血や内臓も無いから、それほどきつくはない。むしろ、不必要なグロ描写は避けてるような気さえする。下手なサイコスリラーと比べれば可愛いもんだ。
というわけで、歴史戦争物が好きな人には結構お薦めの作品。