らき☆すたはリアルでのオタ話を補完する

らき☆すたは話題が日常のあるあるネタや、現実にあるアニメネタ、オタクネタであることで、視聴者とアニメキャラクターたちの間で話題の共有化がされ、あたかもアニメキャラクターたちと自分が同じ場所に存在しているかのような感覚を呼ぶ。

ついさっき第一話だけ見た人間がらき☆すたの魅力について書いてみる

これは自分も思ってたけど、ただの日常化だけではないと思う。


らき☆すたのメインは結局、久米田康治とか火田君のネタと同じ。違うのは、久米田や火田君があくまで一つのストーリーの中でパロディやあるあるネタを使ってるのに対して、らき☆すたあるあるネタの使用自体をストーリーにしている点。
あるあるネタそのもののストーリー化というと、直近では「マスター オブ エピック」なんかがある。ただ、あれの場合はキャラクター達があるあるネタを実演してしまっていて、それを評価する立場ではない。
らき☆すたは、「パロディやあるあるネタを評価する人達」という中間的な位置にキャラクターを持ってきていて、それは今まで以上に視聴者に近い立ち位置になっている。これはある意味で一番共感を得やすい形なわけだが、逆に言ってしまえば「アニメでやる必要はない」とも言える。アニメというのは本来「動く絵」であって、絵であるが故に実写で不可能なことも表現できるのが強み。リアルな日常会話なら中学生日記で十分楽しめるんだから、わざわざアニメで日常会話なんかする必要はない。オタトークを延々繰り広げる番組だってありそうなもんだ。


ところが、実はらき☆すたは「アニメだからできる」を実現していたりする。重要なのは、第一にネタが絞り込まれている点で、第二に視聴者が共感しうるあるあるネタを、可愛らしい少女達が繰り広げている点。
第一点は、まぁ要するに30分という短い中にできるだけ多く共感ポイントを用意しているということ。実写だとどうしても余計な部分を省きにくくなるので、尺の調整という点でアニメの利点を発揮している。
第二点だけど、こっちの方が重要。オタクにとって、リアルでの共有トークは大抵同性同士において為される。というかはっきり言って野郎同士が多い。そんなオタクにとって、可愛らしい少女達とオタトークを共有するという感覚自体が楽しいのだ。ただし、これが実写となるとなかなかうまくいかない。何故なら、実写で演技する以上、役者が「本当に分かってるかどうか」がうっすら見えてしまうからだ。視聴者と真に話題を共有し、かつ見た目も可愛らしい役者というものがいるのかはかなり疑わしい。
らき☆すたの少女達(と)の会話は、視聴者がリアルでやってみたい会話であって、アニメにすることでそれを補完している。そういう意味で「夢」を叶えているアニメらしいアニメだ。


こんな風に考えてみて、以上の考察を補強若しくは批判するための実証方法を挙げておく。

  1. らき☆すたは女性より男性の方がハマりやすい
    • こなたのネタが男性オタに寄っているから
    • ただし、ゆたか周りのキャラが出てきた後は別考
  2. らき☆すたは隠れオタの方がハマりやすい
    • リアルでのオタトークが欠乏してるから
    • ただし、ネットのみであってもしょっちゅうオタ仲間と会話してれば別
  3. らき☆すたは異性のオタ仲間がいる人はそれほどハマらない
    • あのキャラクター達である必要性がないから
  4. らき☆すたはディズニー系アニメ大好きな人はそれほどハマらない
    • アニメ=夢やロマン、非現実という観念が強いから