方言の対応関係

映画の翻訳をするときには、さまざまな日本語の中から、比較的万人に通用する共通語という特殊な日本語を選択しなければいけないだけの話だ。いま、日本語とロシア語との比較をするというときに、日本語の方だけを特殊な枠に当てはめて語る必要はまったくない。

http://d.hatena.ne.jp/JTCY/20070925/p1

あまり長引かせるのはどうかと思ったけど、ここについて言いたかったことが通じてないと思ったので、一応再言及。
「日本語の方だけを特殊な枠に当てはめて」いるというのは全く逆で、むしろあるロシア語に対して方言まで使って対応関係を考える方がロシア語の方だけ特殊な枠に当てはめていると言える。
なぜなら、それは結局、ロシア語の「共通語(標準語)」に対して日本語の方言を含めた全部を対応させようとしてるからだ。先の記事でも書いたように、日本語の内で共通語以外の方言についても数に含めるなら、対応するロシア語の方だって方言を含めないとフェアとは言えない。まさか「ロシア語」が方言を持たない単一の言語であるとは思ってはいないだろう。
表にしてみた。

日本語 ロシア語
共通語 共通語
北部方言 北部方言
東部方言 東部方言
西部方言 西部方言
南部方言 南部方言

こんな風に、ごく大雑把に方言と共通語を想定したとする。方言の種類は言語によっても違うだろうが、地理的な問題から、日本語の方言の種類がロシア語の方言の種類より多いとは言いにくいと思うので、とりあえず同じ数で考える。
自分が想定していたのは、この表の最上部、「日本語の共通語」と「ロシア語の共通語」の対応関係についてだ。そこに「一方を特殊の枠に当てはめる」関係はない。
一方、id:JTCYさんの記事は、どうもこの「ロシア語の方言」を想定していないように思われる。もしもロシア語についても方言を含めて考えているなら、日本語について「方言を含めればもっとたくさんある」というそのたくさんの言葉は、ロシア語の方言における言葉と相殺されるはずではないだろうか。

ある一人の日本語話者が使える罵倒表現の数がたとえ少なかろうと、依然として日本語は豊富な罵倒表現を有している。

とあるが、それを言うならロシア語も同じこと。語彙数を「ある一人」から「全日本語」に移して考えようと、比較関係における差は変わらない。ロシア語についても「ある一人」から「全ロシア語」に移して考えるのだから。
それと極論すれば、そもそも各国の母国語は別々に考えるのに国内の方言は同一と考える発想自体が受け入れがたい。ヨーロッパあたりの同系語族同士を考えれば分かるが、各国の母国語自体、ある種の言語の方言に過ぎない。現在「フランス語」と呼ばれるものが成立したのは、絶対王政以後のことで、その前は地域ごとにほとんど別個と言っていいような方言が使われていた。それらが「フランス語の方言」になったのは、国家という人為的な枠組みで囲まれたからに過ぎない。現在においてさえ、フランス語とドイツ語の中間的言語を使う地域は存在するわけで、どこかで線を引かねばならないのであれば、やっぱり「共通語」「標準語」とされる政府主導の体系で区切るしかないだろう。


繰り返しになるが、ロシア語の罵倒語が多いと言う時の「ロシア語」とは、当然共通語を想定しているはずだ。それに対して「日本語」だけは共通語に加え方言まで含めるのでは、対等の比較とは言えない。日本語の方言も比較対象に含めたいのであれば、更にロシア語の方言も含めていかなければいけないだろう。
ただし、両言語の方言まで含めて対応関係を考えていくことは、もはや海岸の砂粒を数えるに等しい行為だとは思うが。