ブクマコメに反応が来たので

「折り合いが付けばOKなのは全ての著作物について言える」のは当たり前ですが、それを踏まえた上で「MADはその折り合いを付けるための具体的な方法が出来つつある」ということを当エントリでは主張しています。あくまで「MADを黙認しろ!」とは述べていません。

アニメとMADと著作権違反についてつれづれ - 花見川の日記

この言い方もやっぱりおかしいと思う。
本文を読むと、この「折り合いを付けるための具体的な方法」というのが「事実上の黙認」であるとしか読めない。「MADは事実上の黙認が成立しやすいから違法違法言うな」と言ってるように思える。
けど、折り合いの付け方としてもっとも正しいのは明示の契約なり許可なりであって、しかもそれをするのは簡単なこと。曖昧な「黙認」に頼ることを推奨するのは間違ってると思う。理屈の上で違法ならそれを違法と言うのは正しいことであって、それを「空気読め」などと否定するのはおかしい。
著作権は現状として権利者の権利行使が必要なわけだから、そういう意味で黙認があれば使っていいというなら確かにそうだ。けど、違法と言っていい人間、すなわち黙認したくない権利者や客観的に理屈の上から論じている人に対してまで「空気読め」と言ってしまうのは、「MADに関しては黙認しろ」と言っているのと同じではないのか。

「全内容を配信」と「1コマあるいは何コマか抜き出して編集を加えたもの」では重みが違うのは当たり前ですね。

この部分にも異論がある。コメントで「無根拠」と書いたのは、本文中に納得できるだけの説明が見当たらないという意味なんだけど、ブクマコメは100文字制限があるから詳しく書けなかった。
確かに、完全な全内容配信と比べれば侵害度は小さいかもしれない。が、それが許容すべき程度に小さいかどうかは疑問。
まず、MADがいくら切り張りであると言っても、動画である以上「たくさんの静止画」には違いない。それに加えて、音楽も一曲もしくはそれに近い分量をそのまま付けていることがほとんど。この時点で侵害度は大きい。
更に、著作権の中には内容の保持に関する権利も含まれる。MADの内容によっては、著作者が望まないものとして非常に大きな侵害になることもあるだろう。この点は現在あまり多くないかもしれないが、数行の文章についてさえ無断の改変・転載を問題とした訴訟が起こされている以上、無視すべきとはとても思えない。それこそ「かなりデリケート」な部分だから、「重みが違うのは当たり前」と断じるのには同意できない。


MADなど利用形態の差異に合わせて、よりきめ細やかで簡素な権利設定・制度設計をするべきであるというなら、同意できる。しかし、事実上の動向のみに頼り、違法・合法を唱える声を「空気読めない」として否定することは問題だ。そんなことをしていたらいつまで経っても正式な「折り合い」が付けられない。
最後に付け加えておくと、「事実上の黙認」を素直に受け入れられないのは、そこには必然的に「権利行使のコスト」が大きな問題として含まれるから。折り合いが付いていると言いつつ、その実は権利者側にだけ存在するコストによって釣り合っているだけという可能性を排除できない。