高レベルアニオタ

長文につき注意。できれば読むのをご遠慮下さい。


アニメバブルの背景には、オタク文化ノーマライゼーションがあると思う。
宮崎勤によって見事変態犯罪者予備軍を指す言葉へと進化した「オタク」が、今では何やら社会文化の一つとして受け入れられそうな勢いではないか。原因は色々あるのだろうが、近因としては、「ジャパニメーション」として海外から高い評価を受けてしまった日本人が、突如「アニメは日本の文化です」などと吹聴し始めたこと、「最近のアニメは大人でも楽しめるくらい高尚なんだ」などというアニオタの言い訳を真に受けた大人達がいたこと、そして一番の近いものでは、「電車男」によって2chが世間一般に認知され、今までアンダーグラウンドに近かった世界の深度が浅くなったことが挙げられるだろう。


しかし、ここで「わーい、アニメが市民権を得たんだね。嬉しいなー。」などと言っていてはいけない。アニオタたるもの、一般から流入してきたような浅はかなアニメファンに対して一線を引かねばならない。アニオタならアニオタらしく、より高度な次元でアニメを楽しまなくてはならないのだ。


光希桃さんが、高レベル低レベルというエントリを書かれている。ここでは、「『誰が、何を作っているのか』を意識しながらアニメを視聴するスタイル」を高レベル視聴と呼んでいる。これは確かに正しいのだが、しかし同時に「必ずしも高レベル>低レベルではない」と言っている。ここで少し違和感を感じた。「高レベル」なら「低レベル」より上に決まっているではないか。光希桃さんは単に「アニメの楽しみ方に正解など無い」ということを言いたかったようなのだが、それは相対主義を採ればどんな事にも言えるのであって、せっかくレベルの高低を定義したのにその結論に至るだけなのは少しもったいない気がした。そこで、ここで勝手に「高レベル視聴」を再定義してしまうことにする。
上記エントリの次に、高レベル言語というエントリが書かれている。

高レベルな人と低レベルな人の会話を考えてみる。

低「昨日のアニメおもしろかったよね?」
高「昨日は○○脚本だったからな」
高「あの人の脚本回は一見の価値ありだよ」
低「歌のところは迫力合って見入っちゃった」
高「ああいう動画は□□の十八番だからなぁ」
高「□□は他に△△とかでもこういう動画を描いてた」
低「へぇ〜」

高レベルな人と高レベルな人の会話も考えてみる。

高1「昨日のアニメ見ました?」
高2「見たよ、さすがは○○ですよね」
高1「ですよね、○○は●●の頃からこれは!と思ってましたよ」
高2「俺は■■からですねー。●●からなんてお目が高いですね」
高1「歌唱部分の作画は××さんですよね、いい仕事でしたよ」
高2「あの動きは××さんでしか出せないですよね」
高1「次の担当回も楽しみです」

高レベル会話だと、知識公開と情報確認がメインになっていて、自分のことをほとんど語っていないことに気づく。それでも会話が成立しているという不思議な違和感。

自身で書かれている通り、確かに高レベル同士の会話は極めて違和感が強い。というか、こんな中身の無い会話が本当に「高レベル会話」と言えるのか。そんなわけがない。こいつらは光希桃さんの言うところの「知識を並べるだけの会話」に陥っているわけだが、何がそんなにおかしいのかというと、この会話の中に「作品」という単位が全く出てこないところだ。アニメ作品について語っているはずなのに、作品そのものには全く触れていない、それが違和感の元だ。低レベル視聴者は作品を一つの総体としてみるため、部分部分についても作品の一部として、すなわちアナログ的観点から評価するが、上記のような「高レベル視聴」では、各部分が完全に切り離されてデジタル化してしまっているのである。
別に、部分部分に切り分けて評価することは問題無い。それは「分析」であって、オタクの出発点でもある。いわゆる評論家は必ず「分析」をする。問題なのは、分析しっぱなしで「総合」が無いことだ。本来アニメは「作品」が一つの単位であって、そこに評価を為すべきものである。デジタル化した部分から再びアナログ的な総体を構築し直すところに、アニメ評価の真の価値が現れる。「分析」はより深い「総合」のための手段であるべきで、その手段に終始している視聴態度を「高レベル」と言うのはかなり躊躇われる。
「低レベル視聴」とされる視聴態度が「分析無しで作品を評価する」ものだとすると、光希桃さんの言う「高レベル視聴」は「分析だけして終わる」ものと言える。しかし、本当の高レベルは「分析から総合に至る」評価態度なのであって、この次元に達したときに「高レベルアニオタ」になれると言えよう。分析だけで終わるのは「低レベルアニオタ」である。こんな風に言うと、

  1. 低レベル視聴(一般アニメ視聴者)
  2. 低レベルアニオタ
  3. 高レベルアニオタ

と直線的にレベルが上がるかのようだが、多分この3つは三角形の頂点を為す形であって、低レベル視聴から徐々に高レベルアニオタへ移ることも十分あり得る。むしろ、個人的には低レベルアニオタは飛ばした方がいいとも思える。


というわけで、アニメバブルの中、アニオタを自称するものとしては、高レベルアニオタとなれるよう努力すべきである。やはり時代の先駆者として、常に高い志を持たねばならないのだ。仮に1年後にバブルが崩壊し、再び社会のクズと化そうとも、自らの趣味に矜持を持って日々邁進せねばならないのである。
ちなみに、筆者も未だ低レベル視聴者として高レベルアニオタを目指している段階に過ぎないことを付け加えておく。