アニメにおける「リアルさ」の意味

アニメに限らないが、フィクションにおいて「リアルさ」を考える場合、「設定」と「展開」をはっきり分けて考えなければいけないと思う。「設定」とはつまり、世界観や根本的に動かせない作品の基盤。「展開」は、「設定」の上で為されるストーリーの進行。結論から言ってしまえば、前者はいくらでも無茶なことをしていいが、後者では(それを無視することが作品として織り込まれている場合を別として)あまり無茶はできない。
たとえば、ロボットものを考えてみると、巨大ロボットや人型ロボットに兵器としてどれだけの魅力があるのか、ということは必ずしも合理的に説明されない。ファーストガンダムではそれまでより科学的・合理的に説明されるようになったとされるが、よく見るとそうでもなかったりする。だが、実はそのあたりはどうでも良い。人型ロボットが強いのはそういう「設定」なのであって、「超能力が存在する」とか「魔法世界である」「霊が存在する」といったことと同列に考えればよい。そこを否定したら物語自体が立ちゆかなくなるし、面白くも何ともない。そういう根元的な部分は「設定」として認め、無茶を許容して良い。
しかし、そう言った「設定」をふまえて、物語の「展開」を考えるのであれば、そこには一定の合理性・必然性が必要になる。ここで無茶をしてしまうと、いわゆる「御都合主義」になる。何の論理的繋がりもない展開は論外だが、一応の筋道だった説明がついている場合でも、それまで一切情報を与えなかった理由を後から説明するのは、「後付け」であってあまり誉められたことではない。もちろん、最初からその後の展開全部を説明するのは無意味だから、そんな事をする必要はない。ただ、随所に結果を予想させる何かを含ませておく必要があって、これが一般に「伏線」と言われる脚本の妙。
伏線が特に無い場合でも、合理的な説明になっているかどうかで差が出てくる場合がある。たとえば、主人公がパワーアップするなどというのはよくあるパターンだが、「強い想いが能力を向上させた」などという説明は全く説明になっていない。パワーアップするのならば、その理由をきちんと納得のいくものにして欲しい。アイテムを使うとか、一定の条件を満たすといったイベントが必要だ。仮に精神的な要因を使いたいのであれば、精神とリンク・同調する武器であるとか、とにかく何かワンクッション入れるべきで、できればそういう予想のしにくい理由については前もって伏線を張っておいた方がいい。
アニメにおける「リアルさ」というのは、「設定」の部分に突っ込んではいけない(設定内部での矛盾は論外)。「設定」は「設定」として黙認し、「展開」の部分でリアリティ=合理性・必然性を判断するべきだ。そして、人間の感情や言動については「設定」として許される部分が少ない上、視聴者の感情移入の問題もあるから、脚本の「リアルさ」はキャラクターの言動や思考が説得的かどうかでほとんど決まってくると言って良い。