小中学校の芸術科目は「知識」と「技術」を教えるべき

「好きな絵を描いて下さい」「この音楽を聴いて何を連想しますか」「のびのびと」「自由に」
こんな事を言って、実際に子供がそうできると思うのが大きな間違いだ。子供は自由な絵を描くとか、発想が柔軟だとか、本当にそう思っているのだろうか。もちろん、そういう子供もたくさんいるだろう。「好きな絵を描け」と言えばすぐに取りかかって好きなように描ける子もいるんだろう。だが、そんな子ばかりなわけがない。「自由に」と言われて戸惑う子供だってたくさんいるはずだ。少なくとも自分はそうだった。しかし、バカな大人はこれを悪いことのように捉える。「子供なんだからもっと思うままにできるはずだ」という固定観念がある。そんなわけがあるか。子供がみんな芸術家だと思ってるお前の頭の中は腐っている。
小中学校の芸術科目が何のためにあるのか。自由に描かせ、作らせ、感じさせる。それは重要だ。だが、そのやり方において本当に「自由にやらせる」というなら、誰にだってできる。そうじゃなくて、自分の中にあるものを意識し、明確化し、形にする。そういうプロセスに必要な「知識」や「技術」を教えるべきなのだ。
絵を描かせるとする。何を教えるか。適当なモチーフを決め、「さあ描け」と言って描かせ、適当に手直しする。それだけでは、アウトプットが得意な子だけが優秀ということになってしまう。感受性が豊かでもうまく表現できない子は漠とした劣等感を植え付けられるし、「ただ描く」のが得意な子は、表現力を向上させないまま終わってしまう。だから、子供にはまず色彩や遠近法、構図などの初歩を教えてやるべきだ。アウトプットの方法を教えてやるのだ。そうした方法に縛られる子もいるかもしれないが、本当に才能のある子ならすんなり縛りを破るだろう。飛び出た子にはそれに応じた指導をすればいいし、飛び出ない子は基本をマスターすることでそれなりの表現力を身につけることができる。
音楽も同じだ。ただクラシックを聴かせて感想を書かせるより、まずはたくさんの民謡・童謡・有名曲を聴かせ、歌わせる。感想はともかく、「知っている」ということは後の人生でとても重要だ。そして、楽器や演奏家についての知識を与える。無機質に覚え込ませるのではまた無意味だから、演奏家の人生と曲の関わりなどを有機的に学ばせる。はっきり言って、何の知識もなくクラシックなど聴いたところで、退屈なだけだ。これは感受性の問題ではない。絵画も同じことだが、一般人にとって名曲とか名画は「どこがすごいのか」「背景に何があるのか」を知ることで初めて理解の対象となり、「面白い」と感じるようになるのだ。


普通の人は、突然「自由に小屋を造れ」と言われても、造れない。最終的にどんな小屋を造るかはともかく、まずは基本的な小屋の造り方を教えてやるべきではないだろうか。そしてそのための道具と、材料を用意してやるべきでは。
子供だから誰でも書き方、作り方、感じ方を知っていると思ったら大間違いだ。