近親相姦について

個人的に、「許せる近親相姦」と「許せない近親相姦」というものがある。「許せる近親相姦」というのは、法的・生物学的にどうということではなくて、単に自分が「好きになっても仕方ないかな」と思えるということ。
まず、俺の中でインセスト・タブーに対する認識はThe Universe of English 2に出てきたテキストが基になっている。簡単に説明すると、こんな感じ。
生物は自己保存を目的に存在するから、本能的にできるだけ自分に近いものをパートナーとして求める。しかしあまりに遺伝情報が近すぎると生物学的に好ましくないこともまた本能的に知っており、その兼ね合いとして、自分が幼少期によく見た姿態と似た相手は選択しないようにできている。つまり、幼少期に見る同族は親兄弟であることが普通であるから、幼少期に見た姿=自分と遺伝情報が近すぎる存在と認識するわけだ。それがインセスト・タブーの起源である。
もちろん多数の説の一つでしかないが、これを読んだ瞬間すごく納得したし、今でもこれ以上に納得する説明を聞いたことがない。なので、自分の中で近親相姦とはこういうものだという認識が固定している。
話を戻すが、以上を前提にした「許せる近親相姦」とは何か。それは、「生まれてすぐ離れて暮らすようになった近親者」との恋愛。幼少期に認識した顔でなければ本能的なインセスト回避は生じないから、この場合にだけは仕方ないと思う。それどころか、動物はより自分に近い存在を求めるという前提も考えれば、むしろ近親者の方が惹かれ合うのではないかとも考える。一般に近親者間で恋愛感情が発生しないのは、幼少期の記憶によるインセスト回避機能が働いているからなのだ。
ただ、単に生き別れたというだけでなく、幼少期の記憶に相手と近い姿が無いことが必要だから、兄妹が離れていたとしても、一方が親と暮らしていれば、その親を介してインセスト回避機能が働くので、ダメになると思う。
逆に、物心つく前から「兄妹のように暮らしてきた」というような場合、他人であってもインセスト回避機能が働いて恋愛感情が生まれなくなるのではないかと思う。日中遊ぶ程度ならともかく、同じ家で暮らしてきたというようないとこや幼馴染みは、漫画のように恋愛対象とはならない、と勝手に思っている。


で、幼少期に近親者が傍にいなかった場合以外の近親相姦は、全て許せない。許せないというより、理解できない、かな。ずっと傍で暮らしてきた相手を恋愛対象として見ちゃうのは、インセスト回避機能が壊れてるってことで、ちょっと変な性癖を持ってるっていうのより危険なんじゃないかな、と思う。