初音ミクの評価に差が出るのは何故か?

結局、現在の技術に対する認識の違いなんじゃないのかな、と思った。
初音ミクは、かなりすごいと思う。が、やっぱりまだ機械っぽさが残っているわけで、このソフトについて「歌手が消える」とか言うのは明らかに過大評価だとも思う。初音ミクが通用するのは、あくまで遊びの範囲でしかない気がする。
そういう微妙な完成度で出てきたもんだから、現在の技術力に対して期待しているものが何かによって、評価が分かれる。機械音声がどの程度のことまでできるのか、あるいはできたのか実感している人にとっては、「ついにここまで来たか!」というレベルに達しているのは事実。それがエンドユーザーにも現実的な値段で売られるというのだから、それは驚嘆に値しよう。
だが一方で、「機械が人間らしく喋る」ということに対して、映画やドラマのレベルを想定する人もたくさんいる。そんな人達にとって、初音ミクは「まだこの程度?」としか評価されない。もっと言ってしまえば、多分これらの人達は「自分で(考えて)喋る」くらいでないと喜んでくれない。「ちまちま内容を打ち込む作業までやって、出来るのがこの程度?結局人間が歌った方がいいんじゃないの?」と思ってしまう。
たとえて言うと、大型液晶テレビを「壁掛けテレビ」として宣伝するようなものだ。ブラウン管世代、あるいは液晶・プラズマが普及し始めたくらいの人々にとっては、「すげぇ!マジで壁掛けじゃん!」なわけだが、完全に薄型テレビが普及しきった世代の人々にとっては、「え?でもこれまだかなり厚くね?壁掛けっつーなら厚さ1cmくらいにしろよ」としか思われない。
初音ミクの場合は、世代よりむしろ認識の違いだったんじゃないだろうか。機械音声技術に対する「現状認識」と「期待」の差が小さい人には評価され、差が大きい人には理解されなかった。ただそれだけのことで、パッケージやらTBS報道やらオタク達の紹介の仕方は副次的な問題にすぎないと思う。


余談だが、パッケージがあれに行き着くのは必然という気もする。「人間らしい機械音声」「女性音声」「吹き込みは声優」という要素が揃ったら、イメージキャラクターには「人間らしい女性型アンドロイドのアニメ絵」が最適ということになる。リアルな女性CGにするかアニメ絵にするかの二択ならどっちを選ぶ?と考えたら、商業的にもイメージ的にも後者だろう。