「地球のために」とほざく人間は信用できない

「地球のために」とか「地球に優しく」とか、そういうことを言う人間は、信用できない。
そもそも、「地球に優しい」とはどういうことを言うのか。地下資源を節約する?温暖化を抑制する?オゾン層を守る?海や大気を汚さないようにする?木を増やす?そのどれも「地球に優しい」とはとても思えない。ミギー(cf.寄生獣)のように「地球ははじめから泣きも笑いもしないから」なんて言うつもりはない。仮に地球が一個の生命体であって、泣いたり笑ったりするとしても、同じことだ。
地球の寿命は、約100億年と推定されているらしい。その内で人類がいる期間などごく短期間だ。それ以外の間には、火の玉だったり水じゃない海ができたり、地球丸ごと数十メートルの氷に覆われたり、隕石の衝突で半球分の表面がぺろっと剥けたりもした(らしい)。そんな中で、人間が地球に対して行っている環境破壊など、どれほどのものか。地球からしたら、「あ、枝毛めっけ」くらいのものだ。化石燃料が無くなるからどうした?地球にそんなもの必要ない。温暖化がどうした?地軸が少しずれればあっという間に氷河期だ。オゾン層が無ければどうなるというのか?元々そんなものは後発の生物群が自分で作ったものだ。海や大気が汚れる?その程度の汚れで地球が何かの病気になるとでも?木が減ったから何だ。昔から生物が増えたり減ったり絶滅したり発生したりはよくあった。そんなことで地球は一喜一憂しない。トイレットペーパーを再生紙にしたところで「地球に優しい」行為にはならない。行為どころか、人類の存否すら地球のためになるとかならないとかの問題にすらならない。何もかも極めて卑小でどうでもいいことだ。
結局、人間が自然環境を守るのは人間自身のためだ。人間が住みやすい環境を維持しようとしているに過ぎない。そんなことも分からずに「地球のために」とほざくのは、とんでもなく思い上がった人間か、広告心理学を心得た計算高い人間か、あるいは何も考えていない人間しかいない。だからそういうことを言う人間を信じることはできない。地球のために何かをする必要はない。何をしたって地球のためになどならないのだから。環境保全だとか資源節約だとかは、「地球のために」じゃなくて、「自分と自分の子供達が快適で文化的な生活を続けるために」行うのだ。エコロジーは大切だが、地球に対して恩着せがましいことは言わずに、はっきりと「俺と俺の家族のためだ」と言ってゴミを分別して欲しい。エコロジーはエゴロジー。イコールであることに問題なんて無い。